書評「ヒルビリー・エレジー」J.D.ヴァンス

◆ 目次

第一章 アパラチア、貧困という故郷
第二章 中流に移住したヒルビリーたち
第三章 追いかけてくる貧困、壊れ始めた家族
第四章 スラム化する郊外
第五章 家族の中野、果てのない諍い
第六章 次々と変わる父親たち
第七章 支えてくれた祖父の死
第八章 オオカミに育てられる子ども達
第九章 私を変えた祖母との3年間
第十章 海兵隊での日々
第十一章 白人労働者がオバマを嫌う理由
第十二章 イェール大学ロースクールの変わり種
第十三章 裕福な人たちは何を持っているのか?
第十四章 自分のなかの怪物との戦い
第十五章 何がヒルビリーを救うのか
     ~本当の問題は家庭内で起こっている~

◆ 概要

原題は “A Memoir of a Family and Culture in Crisis” 。
著者はケンタッキー州で生まれて、オハイオ州で育ち、劣悪な家庭環境で育ったがオハイオ州大学、海兵隊入隊、イェール大学に進学するという異例の人生を歩んだ。2016年6月にこの本が出版され、トランプ支持者層の実態ということでとても注目を浴びた本だ。この本は、グレーターアパラチアの惨状をよく表している。これは彼がみてきた風景であり回顧録なのだが、米国の一つの世界をよく表していると思う。

今回、私がこれを書評に書いておきたいと思った理由は、2022年オハイオ州上院選で彼が共和党から出馬するからだ。


◆ 引用と考察

私は白人には違いないが、自分がアメリカ北東部のいわゆるWASPに属する人間だと思った事は無い。その代わりにスコット=アイリッシュの家系に属し、大学を卒業せずに労働者階層の一員として働くアメリカ人の1人だとみなしている。そうした人たちにとって、貧困は代々伝わる伝統と言える。先祖は南部の奴隷経済時代に日雇い労働者として働き、その後はシェアクロッパー、続いて炭坑労働者になった。近年では、機械工・工場労働者として生計を立てている。

8ページ

民族意識がコインの片面だとすると、もう片面は地理的環境だ。18世紀に移民として新世界にやってきたスコット=アイリッシュ(アイルランドと北東部のアルスター地方からアメリカに移住してきた人々のこと。アルスター地方にはスコットランドから移住してきたプロテスタントが多く住んでいた)は、アパラチア山脈に強く心をひかれた。アパラチアは、南はアラバマ州やジョージア州から、北はオハイオ州やニューヨーク州の1部にかけての広大な地域だが、グレーターアパラチアの文化は驚くほど渾然一体としている。グレーターアパラチアが民主党の地番から共和党の地盤へと変わったことが、ニクソン以降のアメリカ政治の方向を決めることになった。そして白人労働者階層の将来がどこよりも見えにくいのも、グレートアパラチアなのである。社会階層間を移動する人が少ないことに加え、はびこる貧困や離婚や薬物依存症など、私の故郷はまさにくだんのただ中にある。

10ページ

「貧困は代々伝わる伝統といえる」は非常に重い。
というのも、コリン・ウッダード『11の国のアメリカ史――分断と相克の400年(上) 』を読むと、グレーターアパラチアのエリアは米国独立戦争以前の植民地以前から混乱したエリアだったのだ。グレーターアパラチアのあたりは、入植者とは呼べず、労働力として新世界(アメリカ)に連れてこられただけなのだ。もっというと、彼らは故郷からの避難を求めていて、政府の勧めや指示でもなく、もっというと政府の意向に反して難民としてやってきたのだ。信仰を重視したピューリタンやクエーカー教徒とも違うし、崇高な目的をもってきたわけではないわけだ。それが脈々と受け継がれてしまったということがよくわかる。
さらに、大陸会議ができてからもグレーターアパラチアのエリアは発言権をほぼ持っていなかった。当時の入植者にとって見捨てられたエリアでもあったのだろう。なので、おさえておかねばならないのは、そもそも入植の時点から学もない政府もない難民エリアだったということだ。

宗教的な習慣と言う面では父は南部にルーツを持つ。文化的に保守的なプロテスタントの典型だった。とは言え、典型的な南部出身プロテスタントのイメージは、実は現実を正しく反映したものではない。というのも、南部の人たちは、宗教にしがみついていると言うイメージとは裏腹に、父よりむしろ祖父に近いからだ。非常に信心深いものの、教会コミュニティーには帰属していないのだ。実際、保守的なプロテスタントで教会に定期的に通っているのは、私が知っている中では父とその家族だけだった。バイブルベルトの真ん中では礼拝に参加する住民の割合や、意外にもかなり低い。
奇妙なことに、私たちが自分たちが実際よりも頻繁に教会に行っていると思い込んでいるのだ。ギャラップの最近の調査では、南部と中西部の人たちの礼拝参加率は国内最高だと報告されていたところが実際には南部の住民で礼拝に参加している人はとても少ないのである。
(中略)
父が通っていた教会では、私のような人間が切実に必要としているものを与えてくれた。アルコール依存症の人には支援コミュニティーを提供し、自分は1人で依存症と戦っているのではないと感じさせてくれる。妊娠中の母親には、無料の住まいと職業訓練、子育て講座が用意されている。失業している人には、教会仲間が仕事を与えたり、紹介したりする。父が経済的に困窮していたときには、教会の信者が一致団結して、父一家のために中古車を買ってくれた。私の周りの壊れた世界と、そこで格闘している人たちにとって、宗教は、目に見える援助を与えてくれ、信徒たちを正しい道につなぎとめるためのものだった。

154~156ページ

ここでは引用しなかったが、祖父母ともに、非常にプロテスタントの価値観が随所にでてくる。礼拝参加率と信仰心の深さって比例しないのかもなあ。


いかに多くの人が、生活保護制度を利用してうまくやっているのかを知ることもできた。そういう連中の中には、フードスタンプで炭酸入りを2ダース買い、それをディスカウントストアに売り払って風に買えるものもいた。レジで別々に会計をして、食べ物はフードスタンプで買い、ビールやワインやタバコは現金で買う人もいた。携帯電話で話をしながら会計を済ませるか客もよく言った。家の生活はこんなに苦しいのに、連中は役所から気前よくお金をもらって暮らしている。その上どうして私が夢に見ることしかできないような、贅沢品を手に入れるのか、全く理解できなかった。
私がベルマンで見聞きしたことを話すたびに、祖母は熱心に聞き入った。私たちは労働者階層の仲間の一部に不信感を抱くようになった。私たちは皆、何とか生きていこうと四苦八苦しながらきちんとやりくりをして一生懸命働いて、より良い人生を送りたいと願っている。ところがかなりの数の連中が、失業手当で生活し、それに満足している。2週間に1度、私はわずかな給料を小切手で受け取るのだが、必ず連邦政府と秋の所得税が引かれている。そして同じ位の頻度で、近所の薬物依存者が大きいステーキを買っていく。私は自分では金がなくてステーキなど買えないのに、合衆国政府に税金を徴収され、私が払ったその税金で、他人がステーキを買っているのだ。これが17歳のときの私の考えだった。大人になった今は高校生の時と比べると怒りがおさまっているはいるものの、側が労働者の政党と呼んでいる民主党の政策が、さほど褒められたものではないと心から思うようになった。

222ページ

実際、私が出るまで働いているときに目にしたもの、まさに白人労働者階層の大半はその目で見てきたと言うところに原因があるのだろう。1970年代ではすでに、白人労働者階層はニクソン大統領によりどころを求めていたが、その背景にあったのはこんな考え方だった。政府は生活保護もらって何もしていない連中に金を払っている奴らは俺たちの社会を馬鹿にしている働き者はみんなあいつら毎日働いてるぜって笑いものにしてるんだ。

224ページ

フードスタンプの話はよく聞いたが、こうして具体的な事例で聞くと、なんともアレに感じます。ここでは引用しなかったが、著者の祖父母が「貧しいけど真面目に働いている人」と「貧しくても働かない人」と区別していると何度か書かれていた。「貧しく怠惰な人達」と自分たちを区別したいんだろうなあという意図を強く感じた。とはいえ、現実の貧しさはどちらも同じということに絶望を抱いていることもあわせて書かれている。真面目であろうが、怠惰であろうが、貧しさは変わらず救われていないということだ。 「真面目にやっている方が馬鹿をみる」の通りになってしまっている現実がある。

何百人もの人々が工場での仕事を求めてきたり移住するにつれて、工場の周辺地域にコミュニティーができたのだがコミュニティーは活気がありながらも、極めて脆弱だった。工場が閉鎖されると、人々はそこに取り残される。だが街はもはやこれだけの人口に質の高い仕事を提供することができなかった。概して、教育レベルが高いか、裕福かあるいは人間関係に恵まれている人たちはそこを去ることができたが、貧しい人はコミュニティーに取り残された。こうして残された人たちが本当に不利な立場に置かれた人々つまり自分では仕事を見つけられず、人とのつながりや社会的支援といった面ではほとんど何も提供してくれないコミュニティーの中にぽつんと取り残された人々だウィルソンの本は私の心の琴線に触れた。

229ページ

貧しい人達が取り残されるというのは、どこでもそうで、これからますます増えていくのだろう。

これが私の暮らす世界だった。完全に合理性を書いた行動で成り立っている世界だ。金を使って品声向かっていく。巨大なテレビやiPadを買う。高利率のクレジットカードと、給料を担保にする高利貸し(ペイデイローン)で子供に良い服を着させる。必要もないのに家を買いそれを担保にまた金を借りて使い、結局、破産宣告される後に残るのはゴミの山だけ。契約は我々ヒルビリーの本性に反しているのだ。上流階層になったふりをするために金を使う。その結果、親類に愚行の尻拭いをしてもらったり、落ち着くところに落ち着くと後には何も残っていない。子供の大学の学費も、資産を増やすための投資の本でも、そんなふうに金を使うべきではないとわかっている。

皮肉なのは私たちのような貧困層にとっては、実際には奨学金が受けられるノートルダム大学に行った方が、コミュニティーカレッジよりも安上がりで立派な教育が受けられると言うことだ。本来ならば仕事をしなければいけない年齢なのに働かない。仕事に就くこともあるが、長くは続かない。遅刻したり、商品を盗んでeBayで売り飛ばしたり、アルコール臭いと客からクレームをつけられたり、勤務時間中に30分のトイレ休憩を五回も取ったりしてクビになる。一生懸命働くことの大切さは口にするのに、実際には仕事、それをフェアでないと考える何かのせいにする。

236ページ

ペイデー・ローンについても詳しく書かれていて、別のページで著者は「私にとってのペイデイローン業者は、経済的な問題を解決してくれる、大切な存在だった」と書かれている。劣悪な家庭環境で、当然のことながら経済状態もめちゃくちゃなので、信用はひどい状況で、クレジットカードを作れなかったと書かれている。また、たった数日間のつなぐお金のために数ドルの利子を払えば、高額な家賃滞納金を支払わないで済んでいたので本当に助かっていたとも書かれている。
高利貸しだといって政治家は悪者にするが、貧困層にとってはそれが最後のつなぎになっているのだ。著者は「権力者は、自分が助けようとしている人達の現状を知らないまま、ことを進める」と明確に批判している。
それにしても、『 契約は我々ヒルビリーの本性に反しているのだ。上流階層になったふりをするために金を使う』 は、もう悲しいというか、絶望的としか言いようがない光景だ。なぜ高金利で高額なモノを買っていて、多額の債務を抱えているのか不思議だったのだが、現実から逃れたい部分があるのだろう。それが社会を包んでいる空気のような存在なのかもしれない。

しかし実は、ミドルタウンの住民がオバマを受け入れない理由は、肌の色とは全く関係がない。私の高校時代の同級生には、アイビーリーグの大学に進学したものが1人もいないことを思い出してほしい。オバマはアイビーリーグの2つの大学を優秀な成績で卒業した聡明で裕福で口調はまるで邦楽の先生のようだ。私が大人になるまでに尊敬してきた人たちと、オバマの間には共通点が全くない。ニュートラルでなまりのない美しいアクセントは聞き慣れないもので、完璧すぎる学歴は感じさせる。大都会のシカゴに住み、現代のアメリカにおける能力主義は自分のためにあると言う自信をもとに、立身出世を果たしてきた。もちろんオバマの人生にも、私たちと同じような逆境は存在し、それを自ら乗り越えてきたのだろう。しかしそれは私たちが彼を治子流はるか前の話だ。オバマ大統領が現れたのは、私が育った地域の住民の多くが、アメリカの能力主義は自分たちのためにあるのではないと思い始めた頃だった。自分たちの生活がうまくいっていないことには誰もが気づいていた。親が捨てられた10代の若者の死亡記事が連日、新聞に掲載されているような場所で過ごしている。バラク・オバマはミドルタウンの住民の心の奥底にある不安を刺激した。オバマは良い父親が家で私たちは違う。叔母のスーツを着て仕事をするが、私たちが着るのはオーバーオールだ。おばばの妻は、子供たちに与えてはいけない食べ物について、注意を呼びかける。彼女の主張は間違っていない。正しいと知っているからなおのこと、私たちは彼女を嫌うのだ。

P.300

トランプ元大統領の発言は、正直、意味がわからないことが多かったが、あのような話し方こそが共感していたのだね。なんというか、彼らにとって想像もつかないような人だったんだな、エリートのオバマ大統領は。
著者は、イェール大学ロースクールに進んだものの、ほとんどの生徒は名門私立大学出身で、大規模な州立大学から来た生徒などほとんどいなかったことも書かれている。著者が「自分の周りに誰一人として成功者と呼べるものはいなかった」と書かれているが、まさにその通りなのだろう。イメージさえわかないのだ。


最後に感想

グレーターアパラチアの貧困は、今にはじまったことではない。
入植の段階から、貧困の運命があった。そもそも、日雇い奴隷としてスタートしているからだ。入植の歴史をみると、炭鉱労働に多くの人が従事でき、鉄鋼業が栄えた時に彼らはじゅうぶんな給与をもらっていた。そうやって栄えた時期があったのが奇跡的だったのかもしれないとさえ思う。そのような観点でいくと、邦訳版の副題にある「繁栄から取り残された白人たち」というのは、私は誤解をうむだろう。奇跡的に一時期繁栄したが、昔に戻ったといっていいのかもしれない。昔なら政治でも発言権がなく、自力でなんとかしていなければ餓死していたが、今は選挙権も持ち、政府から経済的な援助ももらえる。そこが過去とは違うところだ。

それにしても、米国でベストセラーになっているということは、米国内の人達も多くの人がこのグレーターアパラチアの惨状をよくわかっていなかったということに尽きるのかもしれない。分断だ、格差だとはいうものの、本当の意味での分断や格差は入植時代からはじまっていたし、そもそも入植時点で分断していて、合衆国憲法は妥協の産物だったということさえ知らないのかもしれない。

余談にはなるが、 コリン・ウッダード『11の国のアメリカ史――分断と相克の400年(上) 』を読むと、アフリカ系アメリカ人が奴隷として連れてこられる以前は、英国の貧しい労働者や難民のアイルランド人を奴隷として連れてきていたことがわかる。彼らは、民族うんぬんではなく、そもそもそういう構造だったということは気に留めておくべきところだろう。そのあたりは、 コリン・ウッダード『11の国のアメリカ史――分断と相克の400年(上) 』 の書評に書きたい。
が、あまりにも膨大な情報量でどう書くかかなり悩み中…。